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10年近く経った今でも忘れられないことがあります。 1993年の宮古島トライアスロン大会、私はゴールまで10kmの地点にさしかかっていました。ふと視線を前にやると明らかに他の選手とは違う、黒く光る鍛えぬかれた背中が見えて来ました。しかし、その背中には覇気は感じられませんでした。歩くようなペースで、歩を進めるゼッケン6。当時、日本のトップトライアスリートで、この大会の第1回と2回の優勝者である中山選手の姿でした。 彼に追いついた時、私は200位前後。バイクですれ違った時、彼はトップ集団にいたので、200名近い選手に次々と抜かれ続けたことになります。レース前半から、外国人招待選手たちで構成されたトップ集団に、日本人でただ一人食らいついていった結果でした。 プロ選手は「満足できる成績が得られない」と悟った時点でリタイヤします。そりゃそうでしょう。勝利至上主義のプロの世界で、プロ選手が完走したところでスポンサーやマスコミに評価してもらえるわけはありません。それに無理に完走して疲れを残すよりも、「勝てない」と悟った時点でリタイヤして次のレースに備えるのが、プロの正しい選択でしょう。私も異論はありません。 |
実際、世界のトップ選手は簡単にリタイヤしています。スイムで出遅れた、それだけの理由でレースを放棄します。プロにとっては勝敗が問題なのであって、完走なんて何の意味もないのです。 しかし、中山選手はなぜか走り続けていました。順位は200位以下、勝利からはかけ離れた世界。なのに、トッププロであり、そして誰よりも誇り高いはずの中山選手が、一般選手に次々に抜かれて行く屈辱に耐え、プロとしてのプライドをかなぐり捨ててまで、懸命にゴールを目指している。それはプロとして決して賞賛されることのないゴールなのに。いったいどんな気持ちで走り続けていたのか。なぜリタイヤしなかったのか。そこまでして完走する意味を、“プロとして”どこに見い出していたのか。私の見た彼の後ろ姿は、プロとしては余りに悲しく、純粋で、ひたむき過ぎるものでした。 10年経った今でも、なぜ中山選手が完走したのかわかりません。ただ、優勝した選手のことは忘れてしまった今でも、一般参加選手にまぎれて薄暗くなったゴールへ戻って来たプロトライアスリート“中山俊行”のことは、はっきりと覚えています。 |
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